科学研究費 基盤研究(B)(1)

現代におけるクローバル・エシックス形成のための理論的研究

 これは寺田 俊郎氏(明治学院大学法学部)を研究代表者とする科研費研究で、

 2003年4月に開始された共同研究である。なお、2006年度からは、

舟場保之氏(大阪大学大学院)が研究代表者を務めている。

 

  第1回研究会(2003年7月26日)

鹿島徹「物語り論的歴史理解の可能性のために」

 

  第2回研究会(2003年10月5日)

寺田俊郎「第21回世界哲学会議報告」

牧野英二「出張報告(ドイツ)」

 

  第3回研究会(2003年12月20日)〔講演会〕

金成禮"Spectral Embodiment in the Landscape of Memory"

感想:当事者の言葉に耳を傾けることの必要性は理解できるが、私たちが誰かに耳を傾けるとき、すでにそこに一種の選別が働いているのではないか、あるいはその可能性があるのではないだろか。

 

  第4回研究会(2004年3月14日、15日)

今村純子「暴力と詩―シモーヌ・ヴェイユの可能性―」

山根雄一郎「ハイデルベルク大学のユダヤ人」

勝俣誠「南北問題とグローバル・エシックス」

 感想:南北問題の本質を、貧困層の所得の問題と見るか、それとも経済格差の拡大に見るかで、論者の立場は変わってくる。勝俣 さんは後者のようだが、その根拠をさらに問いたかった。

寺田俊郎「グローバルな正義―政治的か倫理的か」

石川求「ガーダマーの世紀―対話とは何か」

 

  第5回研究会(2004年7月)

平子友長「グローバリゼーションの時代におけるネイションとナショナリズムの問題」

加藤泰史「ナショナリズム・共和主義・世界市民主義」

 この日、急病で欠席した。残念。

 

  第6回研究会(2004年9月25日)「宗教とグローバル・エシックス」

池内恵「ジハード思想における聖戦論と正戦論」

土井健司「なぜ一神教(キリスト教)は暴力と結びつくのか」という問いについて

諸留能興「パレスチナ問題から見た世界の動向」

 感想:イスラム教、プロテスタント、カトリックの立場から三者三様の話を伺えて大変興味深かった。最後に、地球という閉じた空間において、それぞれの宗教を信じる人々が共存するためには、それぞれの宗教が他の宗教との共存を自らの教理の一部とすることが望まれるが、そのような動向はあるかを質問した。土井 さんはキリスト教における「土着化」にその可能性を見ているようだが、いずれの宗教にもいまだにそのような動向は見られないことが分かった。

 

  第7回研究会(2004年12月19日)「グローバル・シティズンシップ」

伊藤博美「海外出張報告(「ピースフル・トゥモロウズ」訪問)」

鵜飼哲「グローバル・シティズンシップ―「限界市民」の責任とは何か?」

松葉祥一「日本の移民政策とバリバールにおける移民の市民権」

寺田俊郎「カントと世界市民の権利」

 寺田さんの発表のみ、本務校の会議のため欠席した。残念。

 

  第8回研究会(2005年3月6日)「国際関係と倫理 (人道的介入を通して考える)」

中川雅博「武力行使に対するもう一つの立場―ロシア思想史の経験から」

孫占坤「国際法における人道的介入」

 感想:中川さんは人道的介入を「他人に対する完全義務」と考えていることを確認した。そうすると、グローバル・エシックスがその実現可能性を主張するためには、何らかの軍事組織を形成し、そのスキルアップを図らなければならなくなる。果たしてこの方向を採るべきかどうかが問題として残った。

 

  第9回研究会(2005年9月18日)「グローバル・エシックスとジェンダー」

大越愛子「『9・11』パラダイムに抗して―歴史は何を語るか、何を語らないか」

井桁碧「”日韓『女性』共同歴史教材編纂”の過程から

―「グローバル・エシックスの形成」という試みは<歴史>をどのように把握するのか」

コメンテータ : 中原道子

 感想:発表者ならびにコメンテータも「歴史」認識に関する歴史研究者の役割を過小評価しているのではないか、という疑問を懐きつつも、井桁 さんの表題にあるような具体的な状況に立脚した立論を聴くことができたのが成果である。 なお、後日、両発表者に確認したところ、決して歴史研究者の役割を軽んじるつもりはないとのことだった。

 

  第10回研究会(2005年12月18日)「グローバル・エシックスと地球環境」

御子柴 善之「グローバル・エシックスと自然環境―都市生活とケア的関係―」

戸田 清「資源・環境問題と南北問題からみた不平等」

 感想:発表で私は「個人」と「世界市民」の差異を主張したが、その差異そのものを認めないという反論があった。戸田さんの発表を横で拝聴できたのは、たいへんな喜びだった。戸田さんが結論部分で「もうひとつのグローバル化」に言及したことは、これからの研究の手がかりになるだろう。

 

第11回研究会(2006年3月5日)「グローバル・エシックスと経済」

青山治城、Ethics, Economics and Law : "Against Injustice".

橋本努「帝国の条件 自由を育む秩序の原理」

 感想:青山さんの発表は、「第2回立命館大学先端国際コンファレンス(2005年10月28日から30日)の報告。橋本さんの発表は、<帝国>(これはよい意味での帝国)の経済的条件をトービン税を手がかりに論じるものだった。青山さんは、センの「合理的な愚か者」論を踏まえて、「正義の特定ではなく、不正義の特定を、民主主義の実践の中から進める」ことを主張し、橋本さんは「設計的理性の限界」に対し「進化的理性の成長」を語ることで「世界政府」への展望を拓くことを主張した。両者は、「合理性」の外部に時間性を帯びた「理性性」を見る点が共通していると言えるだろう。

 

第12回研究会(2006年6月4日)「グローバル・エシックスとは何か」

山根 雄一郎「多民族社会のなかの「学者共和国」−オーストリア・チェルノヴィッツ大学の場合」

寺田 俊郎「グローバル・エシックスとは何か」

 感想:山根さんの発表は、多民族社会オーストリアのチェルノヴィッツ大学に現れた「個別」と「普遍」をめぐる事例研究。寺田さんの発表は、グローバル・エシックスの系譜学として、世界宗教会議(1993)、ハンス・キュンク(1993)、シセラ・ボク(1995)、ニコラス・ラウ(1999)、ピータ・シンガー(2002)などの検討を踏まえて、固有の定義を提示するものだった。質疑において、そこで提示された「グローバル・エシックス」は「グローバル・ジャスティス」と同義であることが、寺田さん自身によって確認された。

 

第13回研究会(2006年7月29日)「グローバル・エシックスと教育」

上條直美「グローバル化時代の教育―開発教育の経験から」

伊藤博美「<語り>と自己へのケアリング」

この日、本務校の仕事(オープンキャンパス)で欠席した。残念。

 

第14回研究会(2006年9月9日、10日)

石川 求「カナダ出張報告―憎悪のポリティクスをどう超えるか」

小野原雅夫「『9.11』以降の人類共通の地盤を求めて」

大越愛子「ダーバン会議以降の世界的バックラッシュ」

 概要:石川さんの発表は、カナダ(バンクーバー)で開催されたWorld Peace Forum 2006の出張報告を兼ねて、同会議の中心的な話題であった「いかにして憎悪の感情を乗り越えるか」という問題が提起された。教育、政治、メディアによって増幅される憎悪を「復讐」へと増長させない批判的態度の必要性が確認された。小野原さんの発表は、「9.11」以降を「テロリズムの時代の幕開け」と捉え、そこで蝕まれていく「信頼」を回復するための人類共通の地盤を、シセラ・ボクの『共通価値』に依拠しつつ探求するものだった。大越さんの発表は、2001年9月7日に閉幕したダーバン会議を頂点として人類が到達した人権運動が、同年9月11日の事件を境に政治の表面から後退を余儀なくされている状況の報告だった。なお、大越さんの発表のコメンテータとして、井桁碧さんが、フランツ・ファノンを引用しつつコメントを述べた。

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2007年3月17日に明治学院大学で本科研費研究の最後の集会があった。

2008年10月には寺田俊郎・舟場保之両氏の編集により『グローバル・エシックスを考える 「9、11」後の世界と倫理』梓出版社から刊行された。

合評会(2008年12月20日)

概要:上掲の著作に論文を掲載した執筆者が、自分の論文についてその可能性と限界を語り、場合によっては、合衆国におけるブッシュ政権からオバマ政権への移行に問題意識を展開した。およそ4時間にわたる、実のある討議ができた。