カントとケーニヒスベルクの写真集
ケーニヒスベルクは、哲学者カントが生まれ、学び、教えた街です。第二次世界大戦の末期、 英国空軍による爆撃で灰燼に帰し、その後、ソ連の赤軍によって占領されました。当時、ケーニ ヒスベルクを含むオストプロイセンに住んでいたドイツ人は、その故郷を追われ、現在のドイツへ と移り住むことになりました。ケーニヒスベルクは現在もなおロシア領であり、カリーニングラード と呼ばれています。したがって、現在そこで使用されている言語はロシア語です。ただし、ドイツ 人観光客が多いこと、かの地の大学でゲルマニスティ−クが盛んなことに由来して、ドイツ語がかなり通じます。
ここに掲げるのは、ベルリンの壁が崩れて三年目、1992年に訪問した際の写真集です。 冷 戦期、カリーニングラードはソ連の軍港であるがゆえに外国人の立ち入ることの困難な地域で した。しかし、90年代に入ると、かつてケーニヒスベルクに住んでいた人々が、自分の故郷を 懐かしんで同地を再訪するようになり、そうした人々とともに、ケーニヒスベルクを訪問した際の記録が、この写真集です。
写真集(その1) ケーニヒスベルクの市街
写真集(その2) ヴォプザーの小屋など
写真集(その3) ケーニヒスベルクの市街