1回 拓殖大学人文科学研究所主催 研究会「カントの永久平和論と現代」

20051118日 拓殖大学

 

多様性と平和

― カント『永遠平和のために』の一問題 ―

早稲田大学文学学術院 御子柴 善之

はじめに

@「911」と平和論

Aカントの『永遠平和のために』と「国際連盟」(Vorländer1919

 League of Nationsは、1918年にウィルソンが提唱した「平和14原則」に基づき、翌年、規約が定められ、20年に発足。

BVölkerbund oder Weltrepublik? (Höffe1995)

 

1、『永遠平和のために』の問題

 1795年にニコロヴィウス書店から出版されたこの小さな本は、読者を困惑させる部分を含んでもいる。なお、第二補説「永遠平和のための秘密条項」は96年の増補第二版で加えられた。

1)カントの哲学体系上の位置づけ

@「批判」でもなく「形而上学」でもなく。

A「歴史哲学」でもあり「権利論」でもあり。

2)歴史的背景

(1)「バーセル単独講和」(1795年)?(Klemme1992

 クレメはこの単独講和に『永遠平和』出版(1795年)の機縁を見る根拠はないと指摘し、この書物はむしろ『理論と実践に関する俗言』(1793年)に接続して書き始められていると言う。(cf. Lehmann69

(2)他の著作との内容的整合 ?

 『俗言』との不整合は、表面的なものに過ぎないかどうか。

 『永遠平和』は『俗言』と『道徳形而上学』(1797年)の中間形態か。

 →『理論と実践に関する俗言』 

○(資料1)「普遍的な国際国家」を(通して永遠平和が実現する)。

   →『永遠平和のために』 

@国際国家(諸民族合一国家)は概念的に矛盾している(38頁)。

A(資料2)「一つの世界共和国」という積極的理念に代わって「国際連盟」を。

      B永遠平和への接近は可能であり(53頁、111頁)、その実現は「偉大な芸術家である自然」によって保証されている(54頁以下)。

   →『道徳形而上学』

     @(資料3)永遠平和は「実現不可能な理念」であるが、それへの「連続的接近」は可能である。

     A(資料3)国際連盟は「常設的国際会議」という形態をとる。

 

2、カントにとっての「永遠平和」

 それは「すべての戦争が永遠に終結する」状態であり(43頁)、戦争状態としての「自然状態」に対して人間によって「創設されなければならない」状態である(26頁)。

1)『道徳形而上学』における「永遠平和」の定義

  (1)(資料4)「私のもの・あなたのものが確保される唯一の状態」

   →他人のものは他人のもの、自分のものは自分のもの、その確定が永遠平和。

  (2)根源的契約が人類全体に拡大されるまで「取得は暫定的でしかない」(Y266)。

     @この命題は「世界共和国」を要請するか。

     A人類規模の市民状態は、経験的には国家規模の市民状態を介すことでも構想可能であるし、私法状態における根源的契約の可想的性格はすでに人類規模の世界共和国を超えている。(参照:資料3)

2)「哲学における永遠平和」から

ベルリン月報掲載論文「哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示」(1796年)

(1)哲学において永遠平和を実現し保障する命令

 「君は(ほんとうに殊勝な意図に基づいてさえ)嘘をつくべきではない。」([422

(2)誤謬の可能性

   @ひとは、その語ることにおいては誠実でなければならないが、誤りうる存在である。

Aこの永遠平和は「生き生きした」実践を排除しない。(この実践には公開の論争も含まれるのではないか。)

 

3、「国際連盟(自由な諸国家の連合制度)」をめぐる問題

 カントが「国際連盟」に言及するのは、永遠平和に向けて人間社会が実現・維持すべき最終条件を(国内法、国際法、世界市民法に関して)示す確定条項の内、第二条項においてである。そこでは、従来の「戦争の国際法」に代わって「平和の国際法」(Höffe1995)が構想され、(常備軍をもたず)共和制をもつ諸国家の連合制度の実現が求められる。

1)国際連盟という「消極的な代用物(negative Surrogat)」

(1)『理論と実践に関する俗言』における主張

   @(資料5)「世界公民的体制」導入の必要性とその危険

   A(資料5)「一つの国際法に従う連邦」

(2)『道徳形而上学』における主張

@(資料3)国際国家の地理的拡大は旧国家間の戦争状態をひき起こす。

A(資料3)「常設的国際会議」は国家体制ではなく、いつでも解消可能。

      (→国家の外的自由の保障)

  (3)前批判期におけるサン・ピエールへの言及(cf. Vorländer1919

     @Refl.4881760年代?)プラトン、ルソーと共に。

     ARefl.9211770年代?)同上。真なる理念が、熱狂に至る例として。

    補  Refl.17991770年代?)「大国家を長く維持するのは不可能。」「最終的完全性:国際連盟」などの表現がある。

 

2)「一つの世界共和国」における二律背反

 カントが一度として「世界共和国」の実現を積極的に推奨したことがないのであれば、「国際連盟」と「世界共和国」との間でいったい何が問題なのか。

  (1)(資料2)「理性によれば」一つの国際国家(「一つの世界共和国」という積極的理念)を形成するしかない。

@理性によるとは「類推」によるということ。 

個人と国家の関係から共和国と「共和国の共和国(Republikenrepublik, Staatenrepublik)」(Höffe1995)との関係を推理する。

     A「共和国の共和国」の国家としての性格(立法権、執行権、司法権)

      →その問題 多様な旧国家を背景にしてなお「一つの国際法」を立法することはできるだろうが、その執行には強大な権力が必要になり、その権力をめぐって新たに問題の生じる可能性がある。

  (2)政治と道徳の二律背反(77頁、104頁)

     @二律背反の再構成

      定 立 政治的目的があれば、それはそれを実現するすべての手段を正当化する。

      反定立 政治的目的を実現するためであっても、正直さをもって採用された手段だけが正当化できる。

     A二律背反の解決

       「正当化」の二義:有効と正義

       →「道徳的政治家」における道徳と政治の一致

    (3)手段としての「一つの世界共和国」

     @永遠平和の実現は「たんなる理性の限界内における法論の全究極目的である」(Y355)。「道徳的政治家」はその手段として国際連盟を採用する。

Aその手段として「世界共和国」という理念を導入することは妥当か。それに伴う混乱・紛争・犠牲を無視できるか(小野原94)。そうした構想は「政治的道徳家」ではないか(80頁)。

←『人間学講義(Menschenkunde)』には、サン・ピエールの構想について、多くの理由(viele Vernunft)に基づくが、実行に関する理性(Vernunft)に欠けるという表現がある(]]X1006f.)。

     B主権国家が具体的に自発的に主権を放棄する困難。

     C「世界は一つ」? その自己目的化の暴力性(他者が自分と同じ願望を懐いているはずだと考えること)。

3)「一つの世界共和国」をめぐる歴史的背景

(1)メンデルスゾーンの『イェルーザレム』から

   @カントの引用について

    当該箇所の引用は恣意的ではないが、カントの主題ともメンデルスゾーンの主題とも差異を含む部分である。「仮説を立てるなかれ。」

   A信仰方式の多様性への意識

      当該著作第二部はユダヤ教・民族を扱っている。

(2)ポーランド分割(1772年第1回、93年第2回、95年第3回)

       @第二予備条項(14頁以下)(朝永22年)

       A言語の多様性の意義

       「ミールケ編『リトアニア=ドイツ語辞典』へのあとがき」(1800年)

    当時、リトアニアもロシアの支配下にあり、ポーランドは完全に分割されていた。その状況下、カントはプロイセン領ポーランドでポーランド語教育をすることの意義に言及する([445)。

 

4、人間愛の行方 ― 第三確定条項の意義

カントは、国際法に関する第二確定条項に続き、世界市民法に関して第三確定条項を掲げる。これを「個人と(自国外の)個別国家との関係」(Höffe1995,S.109)と読む人もいる。

1)訪問権の意味するもの(47頁)

(1)普遍的友好をもたらす。

    @国境を国際政治的・経済的に機能させない。

    A訪問権は客人権ではない。

(2)他人のものへの関与

   第三確定条項が構想するのは、他人(他国)と関わりつつも、他人(他国)のものは他人(他国)のものとする状態。(参照:資料4)

2)権利と愛

 カントは世界市民法をも権利論に留め、ハチソンのいう「拡大的仁愛」として展開することはない。では、『俗言』でメンデルスゾーンを念頭に語られた「普遍的人間愛」はどこに行ったのだろうか。

  (1)他人に対する愛の義務―『道徳形而上学』の「徳論の形而上学的原理」

       @「人類全体は愛されうるか」(『俗言』[307)。

       A愛の多様性(程度の差)は格率の普遍性に反しない(Y452)。

  (2)義務における「権利と愛」

       @愛の義務は、権利を侵していないという条件つきのもの(109頁)。

       A「お国のため」に死なせてはならない。

 

おわりに

 カントの構想する永遠平和は、多様性を内に含むものであり、「墓場」(11頁)の平和ではない。すなわち、彼の構想は、それによって誰も死なないようなものであるとともに、その内部に生き生きした対話をもつものではないだろうか。また、確かに永遠平和は人間にとって理念に過ぎず、どこまでも課題に留まるものである。しかし、それだからといって理念であることを止めるわけではない。その事情を背景に述べられたのが、「戦争はあるべきではない」(資料6)である。

もちろん『永遠平和のために』はすでに200年以上前に出版された本であり、今日的状況に当てはまらない所説もある。たとえば、彼の「商業精神」(70頁)への期待などは、彼が植民地問題は知っていても南北経済格差や多国籍企業は知らないがゆえに楽天的に過ぎる。この点で、今日的には多様性(差異)が格差として固定・拡大することがないような国際的政策が必要である。そしてこれは、今日の国際社会の現実の課題である。

 それでも、差異に立てこもろうとする人には「世界市民的見地」を、他国を飲み込みつつ専制的になりかねない国に対しては「国際連盟」を対峙させたカントの批判哲学の精神は、今日的状況においてなお、示唆に富むものである。

 

注記

 このレジュメにおいて頁数のみが記載されている場合、それは宇都宮芳明訳『永遠平和のために』(岩波文庫)の頁数である。

 

参考文献(カントの著作以外)

市井三郎「いま、カントの平和論を想う」、『理想』第591号、理想社、1982

大橋容一郎「小中学生にもわかるカント『永遠の平和のために』(2004年度版)」、『別冊情況(特集 カント没後200年)』、情況出版、2004

小野原雅夫「平和の定言命法―カントの規範的政治哲学―」、樽井正義・円谷裕二編『社会哲学の領野』、現代カント研究5、晃洋書房、1994

田畑忍編『近現代世界の平和思想』ミネルヴァ書房、1996

寺田俊郎「カントのコスモポリタニズム―世界市民とは誰か」、『別冊情況(特集 カント没後200年)』、情況出版、2004

朝永三十郎『カントの平和論』改造社出版、1922

ハーバーマス、ユルゲン、高野昌行訳『他者の受容 多文化社会の政治理論に関する研究』、法政大学出版局、2004

浜田義文『カント哲学の諸相』法政大学出版局、1994

宮田光雄『平和の思想史的研究』創文社、1978

Cooper, Sandi E.(ed.), Peace Projects of the Eighteenth Century, Gerland Publishing, Inc., New York & London 1974.

Höffe, Otfried(hrsg.), Zum ewigen Frieden, Akademie Verlag, Berlin 1995.

Höffe, Otfried, Königliche Völker, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Main 2001.

Klemme, Heiner F., Einleitung, in : Immanuel Kant, Über den Gemeinspruch:Das mag in der Theorie richtig sein, taugt aber nicht für die Praxis. Zum ewigen Frieden, Felix Meiner Verlag, Hamburg 1992.

Lehmann, Gerhard, Ein Reinschriftfragment zu Kants Abhandlung vom ewigen Frieden, in : Lehmann, Beiträge zur Geschichte und Interpretation der Philosophie Kants, Walter de Gryter & Co., Berlin 1969.

Mendelssohn, Moses, Jerusalem oder über religiöse Macht und Judentum, in : Moses Mendelssohn Gesammelte Schriften Jubiläumsausgabe, Band 8, Friedrich Frommann Verlag, Stuttgart – Bad Cannstatt 1983.

Vorländer, Karl, Kant und der Gedanke des Völkerbundes, Verlag von Felix Meiner, Leipzig 1919.